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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)11625号 判決

原告

株式会社熊谷組

右代表者

牧田甚一

右訴訟代理人

小嶋正己

長谷川健

被告

甲賀郡農業協同組合

右代表者

森井与十郎

右訴訟代理人

片岡成弘

片岡牧子

被告補助参加人

大平忠男

被告補助参加人

大谷善雄

右両名訴訟代理人

武川襄

植山昇

主文

一  被告は、原告に対し、金一億五〇〇〇万円及び内金七五〇〇万円に対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年11.5パーセントの、内金七五〇〇万円に対する昭和五三年四月一日から同年九月三〇日まで年7.75パーセント、同年一〇月一日から支払ずみまで年11.5パーセントの各割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決の主文第一項は仮に執行することができる。ただし、被告が金五〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1、2の各事実のうち、原告の東京建築支店長山川義明が原告主張の契約締結について原告の代理権を有したことは当事者間に争いがなく、請求原因1、2のうちその余の事実は、〈証拠〉によつてこれを認めることができる。

二そこで、請求原因3の連帯保証の成否について判断する。

1  本件請負契約書である前掲甲第一号証中の連帯保証人の調印部分の成立の検討とあわせて、右部分の調印に至るまでの事実の経過を判断するに、〈証拠〉を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  信楽農協では、昭和四九年二月五日、当時の信用共済部長兼信用課長であつた訴外鳥越清による背任・横領事件が発覚し、当初は約三億二三二〇万円とみられた総被害額は、その後の調査により四億七五〇〇万円にものぼることが判明した。鳥越により着服された金員は、当時すでに離婚していた鳥越の元の妻である訴外依光遊喜に流れており、右依光の関係会社である株式会社依光が建設中であつた別紙物件目録記載(一)の土地(以下「本件土地」という。)上に存する分譲用ビジネスマンション(別紙物件目録記載(二)の建物。以下「本件建物」又は「上野ハイツ」という。)の建設資金に充てられていたので信楽農協では、当時の組合長大平忠男、専務理事大谷善雄らが鳥越を伴つて上京し、依光と交渉の結果、昭和四九年三月九日、株式会社依光所有の本件土地と本件建物(の大部分)に極度額二億八四〇〇万円の根抵当権の設定及び登記を受けたうえで同年一二月三日付(一部は同年一〇月二四日付)で譲渡担保を原因として所有権移転登記を経由した。

その後、昭和五〇年六月、上野ハイツの建設にあたつていた新建設株式会社から株式会社依光に対し、請負代金請求訴訟が提起されたので、信楽農協は右訴訟に補助参加し、同年一二月、滋賀県信用農業協同組合連合会(以下「県信連」という。)から金員を借用して新建設株式会社に二億三九〇〇万円を支払つて、右訴訟を終結せしめた。

また、本件土地建物には、信楽農協への前記所有権移転登記にさきだち、株式会社協和銀行が二億五〇〇〇万円の根抵当権を設定していたため、信楽農協としては、本件土地建物を処分することによつて、被害額の四億七五〇〇万円、和解金二億三九〇〇万円に将来支出を余儀なくされる右根抵当債務の弁済費用を加えた合計金約一〇億円を回収する必要が生じた。

ところで、信楽農協の当時の預金残高は約三〇億円程度でこれに対し鳥越の背任・横領により約七億円もが焦げ付いた状況となつていたため、信楽農協は資金面において危殆に瀕しており、そのため、一〇億円での処分の成否は、信楽農協にとつて、死活に関わる問題であつた。

(二)  信楽農協は、まず、上野ハイツを現況のまま一〇億円で売却することを企て、東京在住の元滋賀県副知事らの協力を得て売却に努めたが、七億円程度の買主しか得られなかつた。そのため、大平は、昭和五一年九月二〇日、県信連を訪ね、参事木村泰治らに対し、協力を依頼するとともに、農協の全国組織である全国農業協同組合中央会(略称「全中」)、全国共済農業協同組合連合会(略称「全共連」)、全国経済農業協同組合連合会(略称「全農」)、農林中央金庫(略称「中金」)ほかの団体(これらを総称して全国連という。)の協力を求めるための斡旋をも要請した。右要請を受けた木村は、県信連会長大森正章の命を受けて、大平、大谷とともに上京し、全国連の各連に売却斡旋又は買取りの協力を依頼したところ、木村と旧知の仲であつた全共連の総務部長小林裕士(以下「小林」とのみ表示するときは小林裕士をいう。)は、信楽農協の窮状を理解し、協力を約束した。

小林は、約一〇億円で上野ハイツを売却したいという信楽農協の要請を受け、知人で、株式会社日象(以下「日象」という。)の代表取締役田島象一(以下「田島」とのみ表示するときは田島象一をいう。)に上野ハイツの客観的な処分価額の算定等を依頼したが、約六億五〇〇〇万円程でしか処分できないとの調査結果を得た。そのため、小林は、昭和五一年一〇月下旬には信楽農協に対し、田島の右調査結果を報告するとともに、信楽農協の要請に応えられないと伝えた。

(三)  同年一一月上旬、県信連では副会長植木仁吉郎以下の役員が上京して全国連に売却斡旋又は買取りの可能性を打診したが、一〇億円では売却斡旋又は買取りの実現は困難であるとの返答で、売却計画は一頓挫した。そこで木村は、小林や田島とともに、一〇億円近くでの換価実現のため打開の方策を相談するうち、病院に転用する構想が生まれ、医療関係者から病院経営の事情を聞いたり建物の転用の可能性を検討したりするうちに、医療法人なら低利の金融を受けられるところから、同年一一月下旬ころには本件建物を病院に転用する案が次第に具体化した。その内容は、田島の構想によると、本件建物を改造して、別に設立する医療法人により病院を経営する、資金は医療金融公庫をはじめ都市銀行や農協等からの融資に頼り、本件土地建物を一〇億円近くの金額で信楽農協から買取るというもので、田島は、農協側に対し、本件土地建物の売却後も病院の運営に全面的に協力することを求め、大平・大谷・木村・小林らはこれを承知した。そして、同年一二月中旬には、田島・大平・大谷・小林・木村のほか、日象の関係者である小林美寅、同鈴木孝雄らをメンバーとして医療法人光陽会の設立準備委員会を結成することが合意され、その代表者を田島と定めた。

(四)  信楽農協では、計画の実現に向けて、売買契約の締結と代金の一部の受領を急いだので、田島・大平らはとりあえず県信連に短期間の融資を依頼した結果、昭和五一年一二月二〇日、県信連は日象に対し、一億五〇〇〇万円を融資することを決定し、同月二三日には信楽農協と光陽会設立準備委員会代表者田島象一との間に売買代金を一〇億円として本件土地建物の売買契約が締結され、同月二七日、県信連の日象に対する貸付が実行されて、そのうち一億円が右売買代金の一部として信楽農協に入金され、残金五〇〇〇万円は光陽会設立準備委員会の当座の運転資金となつた。

(五)  翌五二年一月、医療法人設立認可の手続に着手しようとしたところ、東京都条例の医療法人設立認可の基準が厳しくなり、同一場所で二年以上の開業実績が必要であることが判明したため、光陽会が病院開業と同時に医療法人となる当初の計画は変更を余儀なくされ資金も銀行融資に頼らざるを得なくなつた。

ところで、信楽農協は、前記売買契約に基づき、光陽会設立準備委員会に対して、上野ハイツの一部に入居、占拠していた入居、占拠者の退去、協和銀行の根抵当権の抹消を行う義務を負つていたが、同年二月中旬には入居占拠者の退去が完了し、協和銀行の根抵当権についても、同月五日、県信連の保証で農林中金より二億円を借り入れ、二億一五〇〇万円を協和銀行に支払うことによりこれを抹消した。

(六)  田島らは、上野ハイツの改修工事を二段階に分けて実施することとし、開業実績を作るため、第一期工事は、地下室、地上一、二階及び地上三階の一部を改修して、診療所として診療を開始し、第二期工事は、開業後、上野ハイツのその余の部分を改修し、病室を増床して病院化するという計画を立案した。そして、田島らは、昭和五二年二月に至り、小林美寅を介し、原告の担当者に対し上野ハイツの病院化構想を示し、改修工事の請負方を依頼した。

ところで、本件土地建物はすでに光陽会設立準備委員会に売却されていたが、光陽会が未だ法人化していないうえ、登記簿上の所有名義は信楽農協にあつたため、原告は信楽農協が第一期工事の発注者になることを求め、光陽会病院の設立・運営に協力を約束していた信楽農協はこれを受諾した。そして、昭和五二年二月二三日、大津市の旅館八景館において、原告からは田村鎮雄、中野富郎、信楽農協からは大平、大谷、光陽会からは田島、全共連からは小林、県信連からは木村が出席のうえ、信楽農協から原告に対し第一期工事の発注書(甲第四号証)が交付され、第一期工事が開始された。

(七)  昭和五二年四月二七日、株式会社光陽会が設立され、田島がその代表取締役に就任した。

一方、工事完了を昭和五二年五月一三日と予定していた上野ハイツ第一期改修工事は順調に進み、予定日の頃完成した。光陽会は同年四月、小林及び中金日下理事らの尽力によつて興産信用金庫から三億円を借り入れ(後に五〇〇〇万円の追加融資を受けた。)、原告に対し、第一期改修工事代金を支払い、その残金の中から二億円が上野ハイツの売買代金の一部として信楽農協に対して支払われた。

(八)  上野ハイツは第一期改修工事の完了により診療所としての機能を取得し、光陽会は同年五月中旬から光陽病院として診療業務を開始し、第二期改修工事の完成を待つばかりとなつた。ところが、光陽会が融資を求めていた都市銀行が同年九月頃には融資をしない態度を決めたため、光陽会は農協関係の融資に頼らざるを得ない状況となつた。

そのころ、光陽会では、第二期改修工事の代金及び信楽農協への二億円の弁済等とさし迫つた資金需要があつたため、昭和五二年九月以降、田島、小林はたびたび県信連に融資を要請した結果、県信連は三億五〇〇〇万円を融資する方針を固め、その方法として、孫会員である大平、大谷両名に貸し付け、両名が同額を光陽会に貸し付けるという迂回融資の途を採ることとした。

かくして、同年一一月二二日、大平、大谷の両名は、信楽農協の全役員の連帯保証のもとに、県信連から三億五〇〇〇万円の分割貸付を受ける契約を締結し、同日、一億円の貸付実行を受けた。

(九)  第一期改修工事である本件請負契約締結については、田島、光陽会が発注者になることを希望したが、原告では、光陽会に資力がないところから、信楽農協が保証することを条件とした。そこで、田島は、小林を介して信楽農協にこの旨を伝え、理事である大平、大谷は保証を承諾した。

そこで、同月二四日、原告の東京建築支店長の使者山口誠太郎、田島、大平、大谷、木村の五名は前記八景館に参集し、山口の持参した横書きタイプ打ちの請負契約書(甲第一号証)の連帯保証人欄の「信楽農業協同組合理事長大平忠男」の記載の末尾に大平が大谷をして組合長印を押捺させて、調印を終えた。

以上のとおり認定できる。

2  〈証拠判断略〉

そして、前記1で認定した第二期改修工事請負契約に至るまでの経過、すなわち、信楽農協にとつて、本件土地建物の売却代金一〇億円を入手することは同農協の存亡にかかわる至上命題であつたこと、右一〇億円の入手の方法として唯一残されたのが光陽会による病院経営の道であり、上野ハイツを病院に改修することは必要不可欠の事柄であつたこと、そのため、信楽農協は第一期工事の注文主となつて請負代金債務を負担するという危険も甘受したこと、また、信楽農協の危機を救うために、その上部団体である県信連は、日象への一億五〇〇〇万円の融資、農林中金に対する信楽農協の二億円の借入金債務の保証、光陽会への三億五〇〇〇万円の分割迂回融資を敢えてし、大平及び大谷は、県信連の恩情にこたえるためにも、三億五〇〇〇万円の個人債務まで負担して、病院経営の構想に協力せざるを得なかつたこと、原告は、請負代金債権の支払について信楽農協の保証を要求し、それが得られない限り第二期改修工事の請負を拒む態度を表明していたこと(この点については全共連の小林の証言もある。)を総合すれば、信楽農協が本件連帯保証をするについては十分の動機と必要性があり、反対に、原告が工事着工の承認の意味の文書であると欺いて甲第一号証を入手するとか、甲第一号証を偽造してまで、原告にとつては小規模な第二期改修工事を請負わなければならなかつた理由は、見出すことができない。

〈証拠判断略〉

3  〈証拠判断略〉

4  以上によれば、昭和五二年一一月二四日、信楽農協は、請求原因1の請負契約について光陽会のための保証責任を負担したものといえる。

ところで、原告は、右同日、大平が請求原因2の追加工事についても連帯保証契約を締結したと主張する。

しかしながら、基本たる請負契約の注文主についての保証人の責任は、その後注文主と請負人との間で追加工事の合意がなされたとしても、右追加工事契約が保証の当時から予想され、これについても保証責任が及ぶことが明示されていたか又は黙示に合意されていたと認むべき特段の事情が存在する場合は別として、右追加工事によつて生じた注文主の債務には当然には及ばないものと解される。

本件についてこれをみるに、前認定の請負契約書(甲第一号証)に大平が信楽農協を代表して調印した当時、のちに成立すべき請求原因2の追加工事契約に対する保証について明示の合意があつたと認めるに足りる証拠はない。なお、この点につき、右甲第一号証によれば、これに添付されて本件請負契約内容の一部とされた四会連合工事請負契約約款の第二五条一項aには、工事の追加・変更があつた場合当事者は相手方に請負代金額の変更を求めることができるとの規定があり、同条第二項には、右により請負代金額を変更するときは注文者・請負人及び監理技師が協議して定めるとの規定があることが認められるけれども、右条項にいう工事の追加・変更にはなんらの限定がなく、基本工事の一部仕様変更の程度を超えて新規工事ともいえるような追加・変更であつても右条項にいう追加・変更に該当するものと解されるから、右条項の存在を根拠として保証人が右条項にいう追加・変更工事による注文者の責任をも明示に保証したものと解するのは相当でない。

次に、黙示の合意が存在したと認むべき特段の事情が存在したことについては原告の主張がないのみならず、〈証拠〉によれば、請求原因2の追加工事の内容は、病院の外観を高級化するため、玄関入口を自動扉にし、玄関天井にシャンデリアを取り付け、輸入物じゆうたんを敷き込むなどの玄関・エントランスホール及び照明関係の工事であつて、単なる仕様変更には当たらず、新規工事ともいうべきものであつて、原告も光陽会からそれぞれ追加工事代金額を明記した注文書二通を受領して施工していることが認められるから、これら追加工事は第二期工事の基本契約の当初から当然に予想できた工事とは認められず、黙示に保証の内容となつていたものとは認め難い。

そうすると、前記原告の主張は理由がないといわなければならない。

三被告は、農業協同組合の事業は、農業協同組合法(以下「農協法」という。)一〇条によりその種類と範囲を法定されており、本件連帯保証契約の締結は、右にいう法定範囲外の行為として無効であると主張するので、この点について判断する。

1 農協法一〇条は、農業協同組合が行うことができる事業を制限的に列挙し、同法二八条一項一号は、さらに、農業協同組合の行う事業を組合の定款に記載することを求めている。その趣旨は、相互扶助の精神に基づき組合員の経済的社会的地位の向上を図ることを目的とする非営利法人である農業協同組合にあつては、その活動は組合員の利益保護のため法律及び定款所定の事業の範囲内に制限され、右事業の範囲外の活動によつて組合が権利を取得し義務を負わないことを明らかにするとともに、第三者の利益を害さないために組合の目的の事業を公示することとしたものと解される。したがつて、農業協同組合の定款に定める目的事業の範囲外でなした行為は、無効である。

しかしながら、農業協同組合がした行為は、定款所定の事業自体には含まれなくても、事業遂行に必要な行為である限り、事業の範囲内に属するものであり、有効とされるべきことは法解釈上当然であるが、法はこのことを農協法一〇条一項一二号を設けることによつて注意的に明らかにしたものと解される。しかして、事業遂行に必要な行為であるかどうかは、定款所定の事業自体から観察して客観的抽象的に必要でありうるか否かの基準に従つて決すべきものとされるのであるが(会社についての最判昭和二七年二月一五日民集六巻二号七七頁参照)、それは当該行為についての組合代表者の主観的意図やその行為が組合にとつて有利であるかどうかといつた基準によつて判定すべきではないことを意味するにとどまり、その行為をめぐる事実関係を考慮することを禁ずるものではない。

したがつて、信楽農協のした本件第二期改修工事についての保証も、保証は債務負担のみを目的とする行為であるからとか、組合員外の主債務者光陽会のためにする組合員外の債権者に対する保証であるからという理由でこれを無効視するのはあたらないというべきである。

2 そこで本件をみるに、信楽農協は、同農協の貸付事業の担当者であつた鳥越の不正行為により発生した約四億七五〇〇万円の損害の填補のため、株式会社依光から譲渡担保として本件土地建物を取得し、その後、本件土地建物に設定されていた担保権処理の費用等のためもあつて、これを約一〇億円で売却する必要を生じたこと、信楽農協の当時の資金量からして本件土地建物を約一〇億円で売却して代金を入手することは同農協の存亡にかかわる緊急事であつたが、本件土地建物は約六億五〇〇〇万円程度の価値しか有していなかつたため、処分は難航し、結局最後には、田島を代表者とする法人を設立し、右法人が本件土地建物を一〇億円で買い受けて病院を経営する反面、信楽農協は、右法人による病院経営が軌道に乗るまで、県信連の協力を得て、右法人に対する全面的な協力、特に資金面での協力を約したこと、そして、右構想に基づき、光陽会設立準備委員会が本件土地建物を買い受け、光陽会が設立され、信楽農協が注文主となつて第一期改修工事が実施され、診療所である光陽病院が開設されたこと、第二期改修工事請負契約にさきだち、原告は信楽農協の保証がない限り受注に応じない態度であり、同農協が保証をしなければ、第二期改修工事、したがつて病院開業も実現不可能であつたこと、光陽病院を病院化することは一〇億円の売買契約の大前提であり、計画が前進しなければ構想のすべてが結実しないものであつたこと、信楽農協は本件土地建物を一〇億円で売却したとはいつても、買主は資力のない光陽会であり、本件保証の時点までに代金は三億円が支払われただけで、残額が支払われるかどうかは構想が前進し続けるか否かにかかつていたことは前記認定によつて明らかである。

右のような本件連帯保証契約の締結に至る経過に照らして考えると、信楽農協は、その存続のために本件土地建物を約一〇億円で売却する必要があり、また、光陽会に対し一〇億円で売却した後においても、光陽病院を設立・運営することに協力して売買代金の回収を図ることが必要不可欠であつたのであるから、信楽農協のした本件保証は同農協の定款所定の事業遂行に必要な行為であつたといわなければならない。

したがつて、抗弁1は理由がないものというべきである。

四抗弁2(虚偽表示)について判断するに、〈証拠判断略〉抗弁2記載の事実を認めるに足りる証拠はないから、抗弁2は理由がない。

五抗弁3(心裡留保)について判断するに、〈証拠判断略〉抗弁3も理由がない。

六抗弁4(代表権の濫用)について判断する。

法人の代表者が法人を代表してその権限内の法律行為を行うに際し、代表権を濫用して自己や第三者の利益を図る意思を有していたときには、相手方がこのような代表者の背任的な真意を相手方が知り又は知り得べきであつた場合に限り、民法九三条但書の規定を類推して右代表行為は無効であると解するのが相当である。したがつて、代表者の代表行為が代表権濫用の行為として無効であるためには、まず、第一に代表者が代表行為を行うに際し、背任的意図を有していたことが必要であるといわなければならない。

そこで飜つて本件をみるに、先に認定したとおり、大平忠男は、信楽農協のために、光陽会に売却した本件土地建物の残代金の支払いを確保するために本件連帯保証契約を締結したことは窺われるけれども、本件全証拠をもつてしても大平が本件連帯保証契約締結に際し、背任的意図を有していたとは認められないので、被告の代表権濫用の主張は理由がないといわなければならない。

なお、被告は、本件連帯保証契約の締結について、大平が信楽農協の理事会の決議を得ていないことをもつて代表権濫用の根拠とするけれども、理事会の決議の欠缺のみをもつてしては未だ代表権の濫用があるとはいえず、右主張は失当といわざるを得ない。

以上のとおりであるから、抗弁4は理由がない。

七抗弁5(錯誤)について判断するに、本件全証拠をもつてしても抗弁5(二)記載の事実を認めるに足りる証拠はないから、抗弁5も理由がない。

八抗弁6(権利濫用)について判断するに、前記二の認定に用いた各証言によれば、信楽農協が本件連帯保証契約締結当時、甲賀郡内の各農協との合併手続途上にあつて、資産状態に変動をもたらす債務負担行為には一定の制約があつたこと、鳥越清の横領による損失の発生以来、信楽農協の資金運営は極めて厳しい状況にあつたことが認められるけれども、原告が右のような事情を調査して認識する義務があつたというべき根拠が見当たらないのみならず、仮に原告がこうした事態を認識したうえで本件連帯保証契約を締結したとしても、被告に対して連帯保証債務の履行を求めることは、それが権利濫用にあたるものとして排斥しなければならないほど非難すべき行為であるとはいえないから、その余の点について判断するまでもなく抗弁6は理由がないことは明らかである。

九〈証拠〉によれば、原告は上野ハイツ第二期改修工事着工後の昭和五三年三月九日及び同年四月八日に光陽会より請求原因2記載の追加工事の発注を受け、右二つの追加工事を含めた上野ハイツ第二期改修工事は、同年五月一〇日ころ完成して、これを引き渡したことが認められる。したがつて、右工事の完成引渡により、光陽会は、請求原因1及び2記載のとおり、請負代金合計金一億七四〇〇万円、利息金及び遅延損害金の支払義務を負担するに至つたものである。

一〇被告が、昭和五三年四月一日、信楽農協外四農業協同組合の合併によつて設立されたものであることは当事者間に争いのない事実であり、この合併により被告は信楽農協の権利義務をいずれも承継するに至り、本件連帯保証債務を承継した。

一一以上の事実によれば、本訴請求は基本工事に関する部分について理由があるからこれを右の限度で認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、仮執行免脱の宣言につき同法一九六条三項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(稲守孝夫 小川克介 深見敏正)

目録〈省略〉

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